槇原敬之 アルバム:underwear 曲:THE END OF THE WORLD 2006.10/13 【Fri】00:42 |
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僕としてはそんなに好きな曲でもなくて、カラオケでも一度も歌ったことがないです。
だからレビューを書くとしたらかなり先になるような、脇役的な曲なんですが、無理やり槇原のアルバムをかつみさんに薦めたら(爆)、この曲が気になったらしく、レビューのリクエストをもらったので書いてみます。 歌詞を見てもらえばわかるんだけど、不倫とか浮気の歌です。 確かに悲しく切ない歌ではある。 そしてこの曲を、ただ単に男女の不貞の一言で終わらせてしまうのは、あまりにももったいない。 そんなこと言うと浮気や不倫を肯定するみたいで気分を害する人もいるかもしんないけど。 だけど浮気とか不倫とかって、「絶対悪」というよりは人間が作り上げた倫理だとかモラルというものに反するという意味での悪でしょ。 「不倫は文化だ」とかいう名言(迷言)もあったけど、あれももっと別の視点から見れば必ずしも間違いであるかは誰にもわからない(それを盾に堂々と不倫するのは違うと思うけど)。 要は、善悪は別として、何かを求めようとするそれ自体は誰の心の中にどうしても存在してしまうものだってことだ。 この歌の主人公は、もうすでにその女性と関係を築いてしまっているわけだけど、それさえなければ、心が揺れてしまったりする気持ちは、それなりに「切ない歌」としてとらえることができるんじゃないかなーと思う。 愛してあげたいけど愛してあげられない、 愛しているけどそれによって悲しむ人が他にいる、っていう意味でね。 だけどねえ。 気持ちの問題だけならいいんだけど手ぇ出しちゃってるからね実際(爆)。 やっぱ重いよね。 歌詞からもわかるけど、主人公には大切な人がすでにいることを承知の上で相手の女性は彼と関係を築いている。 「それだけ本当に一途に彼を思っているから」と捕らえることもできるだろうけど、やっぱり「何かが違う」ということはお互いが感じていることなんだよね。 それを主人公は「できそこないの恋」と表現し、祝福されるべきものでもないこともわかってるようだ。 同じアルバム「underwear」の「まだ見ぬ君へ」という曲で |
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一緒にいるのに淋しくなるような恋はもういいよ |
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ってう歌詞があるんだけど、この「THE END OF THE WORLD」もその恋の一つかもね。
あらゆるものに見放され、一緒にいてもあまりにも孤独です。 誰からも見守られず、天気からも見放され、部屋の明かりもちょうどいい明るささえ手に入れられない。 世界から切り離された二人にとっては、もう世界が終幕を迎えたのも同然なのかもしれない。 「THE END OF THE WORLD」のタイトルの意味はこんなところにもこめられてるんじゃないかな、なんて思います。 (もっと色々な意味があるんだろうけど) |
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世界の終わりみたいな顔をしてキスをする僕ら |
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っていう歌詞もあるけど、タイトルの意味はただこれだけじゃないことだけは確かじゃないかと。 |
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お互いの顔を見るのにちょうどいい明るさも手に入れられない |
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ってのは・・・解説しなくても意味わかるよね? |
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「やっぱり幸せのかけらはただの幸せのようなもの」 |
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さっき紹介した「まだ見ぬ君へ」っていう曲にも |
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「愛のようなもの」じゃなくて、「愛」が僕は欲しいから |
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っていう歌詞があって、やはりこの二つの曲には歌詞に共通点が見られる。 しかし槇原の曲の題材はいつも多岐にわたっててすごいなって思う。 片思いから両思い、別れはもちろん、 駆け落ち【PENGUIN】 三角関係【彼女の恋人】 そして今回の不倫・浮気まで、曲にしにくいものまでこんな曲に仕立て上げちゃうんだもんな。 余談だけど、 |
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ちょっと見たら普通の恋人同士 |
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という歌詞は、浜崎あゆみの、ナントカって曲の |
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恋人たちはとても幸せそうに手を繋いで歩いているからね |
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っていう歌詞にも共通してるな、なんて思った。 |
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